海の底から夢を見る

誰かに私を知って欲しかっただけなんです

帰らないで。が聞きたかったんだ

 

「カフェで読書でもしませんか?」

素敵な誘い文句が画面に表示された。

出会い系アプリで最近やりとりをしていた人からだった。

私は顔も知らない人からの誘いに何故か二つ返事で快諾した。

 

電車でカフェ近くの駅へ向かう。

不思議と緊張感は無い。

到着したらそこには想像よりとても美しい方がいた。

私は心の中で「当たり。」と呟いた。

 

読書する気でカフェについたものの、いざ初対面の方と向き合うと話が弾んでしまう。

彼は私より年齢が10も上で、落ち着いた雰囲気のある大人だった。

お互いの人生の道のりなんかを気さくに語り合っていると、彼がとても素敵な人だと気付いた。

 

心優しく、それでいて自分を強く持っており、自信に満ち満ちている。

私が思うカッコいい大人がそこにいた。

どのエピソードを聞いても憧れてしまうような、私には眩しいかった。

 

話が弾みすぎて時刻は夕方に。

彼は東京からこの11月にこちらに来たばかりの方で、家に送られてきた肉が余っているんだ、と言った。

「一緒にすき焼きでもする?」

そう言われた私はまたひょこひょこついていった。

彼なら大丈夫だって何故か信じられたから。

 

そして二人でスーパーで食材の買い物をして、彼の家で何故か結局鍋を作った。

お酒を飲みながら冷め切った体を鍋で温める。最高の瞬間だ。

 

鍋をひとしきり食べ終えた私たちは肩を寄せ合いながらくだらないテレビを見ていた。

ぼーっと前を見ながらお互いの好きな事を語り合った。

映画や本、音楽や美について。

愛を語り、恋を読んだ。

たくさんの思い出達を成仏させるように優しく話す彼は、どこか寂しげで、泣いているように見えた。

私はとても彼には釣り合わないなと、強く感じた。

 

パジャマを借りて、まただらだらと過ごすうちにお酒が切れた。

コンビニ行ってこようかな、と私が呟くと、彼は眠そうに一緒に行くと言ってくれた。

 

深夜の商店街は音もなく、人の気配など何も感じない。

まるで世界が終わって私たちだけが放り出されたようだった。

静寂に包まれたシャッター街を、パジャマ姿の二人が足を鳴らしながらコンビニへ向かう。

時に笑い合いながら、私は強く幸せを感じていた。

 

私はこんな生活に憧れていたんだ。

二人だけの世界で、二人のために時間が流れていく。

退廃的だし怠惰だけれど、彼さえいれば良いやって思えるその瞬間を。

私は確実にそこに生きていた。

 

「幸せだなぁ。」

私はしきりに呟いた。

彼はピンときてない様子で、マイペースに自分の話をしたりした。

 

私の憧れが詰まった人と、憧れていた生活をして、とても幸せだった。

二人の関係こそ偽物だったけれど、そこにあったのは紛れもなく本物の幸せだった。

 

一瞬の光だった。

私の人生における、この夜は強く眩く輝く一瞬の光。

私は今日という夜を心から忘れたく無いと、切に願った。

心が溶けていく。

 

この夜を生きた事を、必ず私は思い出す。

何度も何度も、心で噛み締めるだろう。

もう会えないかもしれないほどに希薄な関係だから、私はこの思い出を大切に大切に、壊してしまわぬように胸にしまった。

 

そして運命の時は訪れた。

唐突に私の携帯から着信音が鳴り響く。

帰省していた親友からだった。

今から迎えに行くから家まで送ってあげるよ?

そんな内容だった。

 

私は彼女に会いたかった。

だけれど彼の家にいたかった。

そのどちらもが同じ熱量で、私には選べなかった。

居心地がよく、幸せでいられるのは彼の家にいる事だった。

友人と帰ることもまた同様に居心地が良かった。

 

彼は優しく、「友達に悪いから帰っていいよ?」って言ってくれた。

私は胸が引き裂かれる程に苦しかった。

友よ、今日だけは、今だけは、私の幸せを邪魔しないでよ。

 

私は帰る事を選択してしまった。

ただ私は、

「帰らないで。」

この一言が聞きたかった。

この言葉が欲しかった。

 

彼は優しすぎたんだ。

強く強く幸せを感じた。

体の関係なんて無くても、こんなにも私を満たしてくれたのは彼が初めてだった。

もっと彼に触れてたかった。

もっと話していたかった。

私を求めて欲しかった。

 

友人の車の中で、私は選べなかった未来に想いを馳せることしか出来なかった。

 

静かな静かな夜だった。

 

 

また会いたいよ。

私を見捨てないで。

 

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